新・とおりみち通信

〜 出歩きあるばむ 〜

須崎公園の緑、その現在地(1)雁の巣

2021年に再整備工事が始まった須崎公園(福岡市中央区)の樹木の一部が、雁の巣レクリエーションセンターに移植されている。その話をインターネットや人づてで知ってから、年に1回くらい個人的に雁の巣を訪ねて木々の様子を見ている。

今年も現地を訪ねた(2024年12月8日)。現地の様子を写真で掲載する。

 

f:id:sanchiroku:20241210172647j:image クロガネモチ


f:id:sanchiroku:20241210172632j:image クロガネモチ、クスノキイチョウアメリデイゴなど


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f:id:sanchiroku:20241210172918j:image サンゴジュ たぶん本体が枯れた後に、ひこばえが育っているのだろう


f:id:sanchiroku:20241210172138j:image カイヅカイブキイチョウ、サンゴジュなど


f:id:sanchiroku:20241210172119j:image ヒイラギが咲いて香っていた
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f:id:sanchiroku:20241210172939j:image ソテツ 小さくなった


f:id:sanchiroku:20241210172928j:image この一角は立ち入れなくて外から見ている
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これまでに自分が見てわかるだけで数本の木が枯れたけれど、多くの木が生きている。移植されてから時間がそれなりに経ち、それぞれの木がそれぞれなりにこの場所へ適応しつつあるのかと思う。

これらの木々がこの先どうなるのかの詳細は知らないが、今後新しく整備される須崎公園に戻される前提があるのかもしれない。別の場所で移植樹木を見てきた経験から言うと、ある場所で大きく育った木を別の場所へ移植し、さらにそこから再移植するとなると、木への負担はかなり重くなるようだ。しかし個々の木にとってこちらと須崎公園とどちらに居るのが環境条件として好適なのか、戻したほうが良い未来があるのか、それぞれの木でその答えは異なるかもしれないとも思う。

引き続き木々の様子を伺いに訪ねたいと思っている。

 

 

旧大名小学校のえのき(榎)【追記あり】

旧大名小学校(福岡市中央区)の跡地が再開発されて様変わりしているが、旧校舎の横にむかしからのえのきの木が立っている。

 

このえのきの木は旧大名小のシンボルツリーになっていると聞く。過去に存続の危機があったけれど人々の計らいでここに残されたという話もある。今回の再開発でも残されたのだった。

 

そのえのきの木が、この春にも伐採されるとの新聞報道があった。

https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/1166018/

 

自分もこの場所を通るとき、えのきを見ている。10年以上前に「ゆるゆる散 歩」でこの一帯を歩いた際も、事前に学校にお願いしてえのきの木など校内の植物を見学させてもらった。

 

あらためていま、写真を撮っている。先日の写真。

 

3月24日にこのえのきの木に感謝してお別れをする会が開かれるとの話も知った。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0bmtcbJLUWNqrC6Rf6NmEAAz4zmFJmjUpHXd7ic879PfbxFQnyAzApsAywJPeSderl&id=100063043218425

 

さまざまな事情のもとで、地元の方々の思いや決断もあってのことだろうと察する。現在、このえのきの2世が別の場所で育っているらしい。

同時に、現地のこのえのきが何らかの仕方で生きていけたらと思う気持ちもある。いずれにしても、見ていきたい。

 

【追記】2024年7月31日

本日の昼に現地を通ったところ、えのきの木が伐採されたようだった。おとなの胸ほどの高さまでの幹が残っていてブルーシートで覆われていた。

 

このところおおむね毎週、えのきの様子を見ていた。今年も春から夏にかけて、よく茂っていた。

私が伐採前の最後に見た、えのきの姿。7月25日の夕方、突然降り出した大雨の下だった。

 

 

 

三代(みしろ)の桜【2024年春の追記あり】

 

この春から夏にかけて、新聞でここの桜の話を見た


糟屋郡新宮町の三代の桜並木


工事で伐採されるのを地元の方々が悲しんでいる声が紙面で取り上げられていたのだった


気になっていた ようやく先日現地を訪ねた


詳しい場所は知らなかった 歩いていると道沿いに桜が立ち並ぶそばに工事予定の立札があり、そこから小径が林の中へ伸びていた この小径だろうかと入っていった


小径を挟むように桜が続いていた ここに違いないと思った

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コンクリート壁の小川が流れる

その向こう側は山が大きく切り開かれていた

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くすのきが立っていた 細くて高いので、まわりが茂っていく中で急いで伸びていったのだろうか このあたり、こんもりした山の森だったのではないかと想像した

 

土手の下は葛などが一面茂っていた カンナが咲いていた

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たまたまお会いした方と話をした ここの桜は青年団で植えたものだそう その方は桜が残るのかどうかはご存じでないご様子だった


小径には、カラムシ、ミツバ、オオバコ、ヨメナ、トウバナなどの草が茂り、いろんな虫たちが飛んだり跳ねたり歩いたりしていた

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ヒメウラナミジャノメのよう

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フキバッタの仲間かと思う

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緑豊かな小径 おだやかなようでもあり、にぎやかなようでもあり

山肌の地色は迫ってくるものの


しあわせな小径だと感じた

 

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一帯は区画整理事業が進められているらしい

町が公開している図面ではこの一帯がどうなるかはおおまかにしかわからない


この小径の横に流れる小川を活かす意味で、この小径を現在に近い状態で親水緑道みたいな位置付けをして残すことも、考え方しだいで可能ではないだろうかとも思う

 

少し離れた場所からこの小径のほうを眺めた

春にはここに一列に、緑色ではなく花色の木々が並んでいるのだと想像すると、ここの桜が地域の方々の心の風景になっているのではという気がとてもした

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また訪ねたくなっている 桜の花の頃でなくても、草、木、虫、鳥、何かにどなたかに出会えそうな気がする

 

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【追記】2024年4月3日

3月31日に現地を訪ねたところ、桜の一帯を含む広い範囲で造成工事が進められていた。桜並木は、入り口の道路沿いの数本を残して無くなっていた。

たまたま地元の方にお目にかかり、事情を少しうかがった。その方は残念がっておられた。

桜並木一帯の写真は載せないでおくことにする。今後考えが変わるかもしれないが、いまはその写真でなく、残っている桜の写真を載せたい。

 

 

 

 

 

桜並木の跡

 

以前、ある場所の桜並木について新聞で書かれていたのを読み、現地へ行って現場を見たことがあった。

そのときに、ここのブログの記事内でその桜並木のことを少しだけ書いた。

このごろのこと(天神チャンチンほか) - 新・とおりみち通信

記事に書いたように桜並木の伐採と保全とで地域の方々の思いが分かれているらしい状態で、当時は悩んだ末、けっきょくそれ以上詳しいことは書かなかった。

 

その後、桜が無くなったという話を何かで見かけた。

 

その場所のことが心に残っていたけれど、訪ねなかった。無力感があったのかもしれない。

 

そこに先日立ち寄った。

小さな川の土手。あのときは桜などの木々が立ち並んでいた。

 

斜面に木々の切り株が残っていた。どの株も朽ちているようだった。

 

いまから蒸し返すつもりもないので場所がどこかは今回も書かない。

いまは切り株たちがこの川土手の歴史の一端を、その姿だけでわずかにとどめている。でもそうした過去を知らない人には、ただそこに切り株が見えたり見えなかったり、それだけだろう。

 

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