新・とおりみち通信

〜 出歩きあるばむ 〜

小川内の碑と道十里の碑(2021年3月)

 

2021年3月25日に五ヶ山(福岡県那珂川市)・小川内(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)を訪ねた。

前回記事に書いたように五ケ山ダムが試験湛水の一連の過程で昨年末にかけて水位を下げ、ダム湖の湖底になっていた場所があらわれていた。試験湛水が終了してダムは現在しだいに水位を上げてきており、自分が見てきた五ヶ山や小川内の木々がこれから再度水没することになるのだろうと思う。

・前回記事

https://sanchiroku.hatenadiary.jp/entry/2021/03/14/010012

 

前回記事に書いた2月7日の訪問時は、東小河内や小川内の神社の木々のほか、旧小川内小学校の桜の木が見られた。その後の水位の上昇で、小学校の桜が水没したのではと気になっていた。長く水没した木は枯れてしまうだろうが、ひょっとしていま生きている木もいるのではないかと思い、春を迎えた現地を見たいと思って出向いた。

 

今回の記事には水没した一帯の写真は載せていない。

旧小川内小学校の桜は根元が水に浸かっていたが木の地上部ほぼ全体が水面上だった。残念ながらその桜をはじめ、東小河内や小川内の木々は前回記事の写真と大きく変わらず、芽が吹いているようには見えなかった。前回は木々は白っぽく感じたのだったが、今回はむしろ黒っぽく感じた。地面には一部、草の緑が見え始めていた。

 

なお、3月25日の私の現地訪問時の五ケ山ダム貯水位は、福岡県の河川防災情報サイトで公開されていたデータによると、約361.77mだったようである。

 

 

ところで、小川内の新道を歩いていて、碑が建っているのを見かけた。郷愁の碑、と銘打たれている。

 

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「郷愁の碑」

この湖水、

百余万の市民のかてとなれ

我がふるさとの民はねがえり

 

我が小川内の故郷

ダム建設により全ての民が郷をはなれたが、

肉眼では観えない御魂を地蔵尊に込め、

この地に先祖を敬い新地の平安と

栄えあらんことを祈念して

尊像と碑を建立する。

 

建立者として私も存じ上げている方々の御名前が記されていた。昨年の秋に建立したとのこと。

 

この碑を見て、私はもう1つの碑をすぐ思い出した。その日も小川内に着く前に見てきた、道沿いの碑である。

 

道十里の碑。写真は帰り道に撮影した。

 

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道十里は、現在は五ケ山ダムの下流のダムとなった、南畑ダムが建設された時にダム湖に沈んだ集落の名前である。

道十里とこの碑に関しては次のページ・ブログに触れられていて、私もそれ以上のことを詳しく知ってはいない。この道十里の碑は、おそらくだけれどその集落を眺めることができた位置に建てられたのではないかと思う。

道十里(那珂川町

http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/40.Fukuoka/Nakagawa_Michijuri.html

http://blog.livedoor.jp/ayabeda/archives/51918186.html

 

道十里の碑に触れられている「垂乳根の大銀杏」は、現在南畑ダムの水位がそこまで高くないため、地上部の全体が水面上に出ている。(下の写真の中央)

 

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どちらの碑も、これからも道を行く方々の目に留まり続けてほしいと思う。

 

 

国道385号線を南畑ダム上のグリーンピア那珂川への分岐から五ケ山ダム方面へさらに進み、那珂川に掛かる橋を渡ってすぐ左に逸れた場所に、旧・桑ノ河内集落の薬師堂が移されていて、そちらには桑ノ河内の「離郷の碑」が建てられている。桑ノ河内集落は五ケ山ダム建設工事に関連して離村したと聞いている。桑ノ河内の碑は手元に写真が見つからない。下の写真は同じ薬師堂の境内に移植されている大銀杏。(2014年11月23日撮影)

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国道385号線からグリーンピア那珂川への分岐道へ入り、小さな橋を渡ってすぐの場所に、道十里の薬師堂が移されている。その近くに、福岡県の南畑ダム水没記念碑が建てられている。その碑の写真は手元にあったので掲載する。(2016年3月20日撮影)

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小川内の碑と道十里の碑(2021年3月)

 

五ヶ山・小川内の水没した土地と木々、その後(2021年2月)

 

2021年2月7日、五ヶ山(福岡県那珂川市)・小川内(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)を訪ねた。緊急事態宣言発令下だったため、佐賀県側の小川内は短い時間だけ対人的接触がないようにして訪ねた。

 

前回訪ねたとき(下の記事)から2年近く経った。

https://sanchiroku.hatenadiary.jp/entry/2019/04/14/123153

この訪問以降は現地を訪ねようという気持ちが出てこなかった。

 

試験湛水を実施していた五ケ山ダムはその間、2020年4月19日に洪水時最高水位サーチャージ水位)に到達し、そこから水位を下げて、同年12月22日に試験湛水を完了し、翌2021年1月21日から運用開始の運びとなった。

五ケ山ダムサーチャージ水位到達時の記者発表:

五ケ山ダムの試験湛水状況について - 福岡県庁ホームページ

五ケ山ダム運用開始にあたっての記者発表:

五ケ山ダムの運用開始について - 福岡県庁ホームページ

 

ダムの水位は最も下がった時には355mを少し切っていたようで(私の手元に残している記録では12月23日に354.97m)、そこから徐々に水位を上げ始めている。

ダムの水位がこれだけ下がると、私がこれまで現地で見てきた、東小河内の桜やモッコクの木々の一帯はもちろん、小川内の杉が鎮座していた神社境内の近辺や、旧・小川内小学校の一帯も、水面の上に出ているはずだった。それで、水位が上がらないうちに、五ヶ山・小川内をまた訪ねようと思っていた。

 

以下、現地の写真を掲載する。

写真を掲載するか、そもそもこの記事を書くかどうか、かなり迷った。ダムの水位が下がって、それまで水没していたかつての場所が見えている様子を写真で載せているブログやツイートもすでにあり、記録という意味ではそれらの記事や画像がじゅうぶんに役目を果たされると思う。

けれど、自分が見たことを自分が書いて載せる必要もやはりあると思った。どなたであってもそれぞれの関心それぞれの着眼でそれぞれの伝え方・残し方をなさる意味があるはずだと思う。

写真をご覧になりたくない方はここまでで止めていただけたらと思う。以下、写真はすべて、橋の上や新道から見下ろした遠望の写真である。いつものようにコンパクトカメラの写真で、このごろ焦点が合いづらくなっていて、写りはあまり精細ではない。

 

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天神チャンチンとコブシ

2020年2月29日

 

天神交差点(福岡市中央区)のチャンチン

ひさしぶりに全体像を写真に撮れた

 

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ひこばえに新葉が すでに色変わりしていた

 

交差点対岸のコブシが咲いている

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コブシのほうへ渡った

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花はこれからつぎつぎ咲いていくことだろう

 

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