新・とおりみち通信

〜 出歩きあるばむ 〜

中新町公園の桜

 
私がこどもの頃よく遊んでいたいくつかの公園のうち、いちばん親しんでいたのが「中新町公園」でした。
「中新町公園」という名称はそのころは知らず、ただ「こうえん」とだけ言っていたような覚えがあります。
ブランコ、すべり台、砂場、ベンチがいくつかあるほか、まわりをぐるっと桜の木が囲んでいました。
こどもの頃は桜はあまり意識していなかったような気がします。
 
ある年、中新町公園はなくなることになりました。隣接する駅を利用する人たち向けの駐輪場が造られることになったためです。
その年の春、公園で絵を描きました。この花景色はこれが最後だと思って描いた覚えがあります。とてもつたない絵ですが、きょうは写真のかわりに、記事の最後に載せておこうと思います。
 
駐輪場の建物は公園の敷地ほぼいっぱいを使って建てられましたが、まわりの桜はそのまま残されました。
桜はその後も毎年、建物の影から花を咲かせました。やがて桜は駐輪場の建物を見おろして咲くようになり、町の春をにぎわせていました。
その頃の写真もいくらか撮っていますが(桜の裏手にアパートがあり、ちょっと撮りづらいので角度を工夫しなければなりませんでした)、きょうは載せずにおきます。
 
今年、その駐輪場が移転することになりました。説明の図面によると、駐輪場のあとは緑地になることになっています。その図を見たとき、中新町公園が「帰ってくる」のだと思いました。
駐輪場の建物の解体工事が始まりました。解体作業は、まわりの桜の木をいくらか枝打ちした後、木を残して始まりました。このあと造られる緑地に、桜はそのまま残されるのだと思っていました。
 
先日、たまたま道でお会いした方から、その桜の木々はむかし、近くの方がおひとりで植えて育てたのだという話をうかがいました。50年以上にはなるだろうとのことで、調べていませんがひょっとしたら「公園」になる前に植えられたのではとも思います。
その方はすでになくなられているそうですが、そのこどもさんが遠くにお住まいで、桜が伐られる前に桜を見に来られたという話もうかがいました。
 
福岡市博多区麦野四丁目。むかしの呼び名が中新町。中新町公園の最後の花景色、遠くなりましたが、いま思い返しています。